好きな食べ物はカレーです。

食べたり飲んだりラジオ聞いたり。育児したり。

青い空は凛と澄んで

3月に入ったというのに雪が降っていた日の夕方。
予定日を4日過ぎて実家に帰っていたわたしは、今までに感じたことのない痛みを感じていた。


激しい痛みはやがて10分間隔になり、
家にいたお兄ちゃんに送られて病院までタクシーで向かう。


タクシーのなかで仕事中のオットに電話。
「22時頃には行けると思うよ。」
との言葉に「じゃあ、22時までは産まないようにしなくっちゃ」などと軽口をたたくわたし。



なめてた。
はっきり言って、陣痛をなめきっていた。
そんなこと言ってるうちは産まれてなんてきてくれないのだ。



病院に着くと「まだ子宮口が1cmしか開いていないから帰ったほうがいいんじゃない?」とのこと。


前日にも陣痛らしきものを感じて病院にいっていたのだけれど、やはり子宮口が開いておらず家に帰されていたわたしは、こんなに痛いのに産ませてもらえないなんて!と仕事中のオットに電話をかけて号泣。(いま思えばなにがあんなに悲しかったのだろう)


オットは仕事をバババッと終わらせて急いで帰ってきてくれた。


しかし、もう病院に行きたくないわたしと目の前で悶えてる妻に耐えられないオットとの間で無駄なケンカ勃発。


22時頃、業を煮やしたオットが病院に電話。
「じゃあ連れてきてもいいですよ。」
とのことで三たび病院に向かう。
ここでやっと分娩室に入れてもらえるが、子宮口はまだまだ1cm。


分娩室に入れてもらえればこっちのもんだと甘い考えでいたけれど、全然子宮口が開かない。
日付けが変わってお昼を過ぎても6分間隔の強い陣痛が短くならず、子宮口が3cmに開くまで16時間が過ぎた。
(多分病院的にはこのくらい開いてから病院にきてほしかったんだろうな。でもあの痛みを感じながら家で過ごすのは、わたしもオットも耐えられなかったと思う)


13時をすぎ、泣きそうなところに先生登場。笑顔で促進剤打ちましょう。とのこと。
陣痛促進剤!
早く産みたいわたしには、魔法の言葉に感じた。
そして、そんな魔法の薬があるなら早く言えよ。
とか内心思っていた。


しかし、促進剤は魔法の薬なんかじゃなかった。
むしろ促進剤こそが敵!
敵は本能寺にいる織田信長じゃなくてあの先生だったのだ!
今までは、痛くても休める時間があったから耐えられていたのに。
促進剤をうったとたん、休みなく押し寄せる陣痛。
それまで優しかったのに、お風呂に入りましょうとか、部屋の中歩きましょうとか、ストレッチしましょうとか、なにかと痛めつけてくる助産師さん。
もう四面楚歌。
周りを見渡しても全員敵。


そして、促進剤をうって2時間後、午後3時。
やっと子宮口4cm。

えー。あんなに頑張ってまだ4cmってもう無理。先が見えなすぎる。

で、午後5時の先生の検診の時に解散宣言。
「もう無理だから促進剤外してください。今日は一旦解散して明日また頑張る。」
と伝えたら
「じゃあ、6時までがんばろう。それで子宮口開かなかったら解散しよう」と言ってくれた。



その間も鬼と変化してる助産師さんとオットに(気づいたらオットも鬼の仲間になっていた!)歩けだのトイレ行けだの言われて泣きそうになっていた。



いよいよ6時をすぎて子宮口6cm。
先生によるグリグリで無理矢理破水。
「もう少しだから頑張って産んじゃおう」
と言われ、少しの理性が残っていたわたしの口からは
「大人なのにワガママ申しましてすみません。」
という言葉が辛うじて出てきた。